夏コミ(C80)新刊『恋愛ゲーム総合論集』目次ご紹介
■概要
『恋愛ゲーム総合論集』("論集"通巻第3号)
制作サークル名 :theoria(テオーリア)
頒布開始イベント :コミックマーケット80
頒布開始日 :08月12日(金)〜08月14日(日)
頒布先サークル :GameDeep(8月12日(金)東E−51a)……ゲーム(その他)、寄稿者中田吉法氏のサークル
liliane.jp(8月13日(土)西り−13b)……マリみて島、寄稿者C.F氏のサークル
theoria(8月14日(日)東O-27a)……評論・情報島、主宰then-dのサークル
TDAC-East(8月14日(日)東ポ-58b)……ギャルゲー島、寄稿者 ツンデレ学会・凜♪氏のサークル
即売会頒布価格 :1,000円(予定)
ページ数 :168ページ(表紙等含む)
表紙 :猫撫ディストーション(絵師:ぴざぬこさん)(TwitterID:pizaru)
コミックマーケット80会場にご来訪いただきました方には、暑いなかありがとうございました。
<同人ショップ委託>
I.作品論
1.【第1特集】『猫撫ディストーション』
(1)驚きのギズモ:猫撫ディストーションが見せる目的論と因果論 daktilさん(TwitterID:vozduhan)
琴子は観測者にとっては既知の存在でなくてはならず、認識の外部に琴子はいない。彼女は重ね合わされた可能性の中で僕らの呼びかけを待ち続けており、呼びかけに応じて現れると、その物理的因果性はヘプタポッド(テッド・チャン「あなたの人生の物語」)の論理のように最適な形で再構成される。
(2)外側から観た"元長作品" ―『猫撫ディストーション』をプレイして― haltarfさん(TwitterID:haltarf)
“元長作品”という文脈は、ライターの自慰行為と、偶然にも同一の波長で自慰に耽ることのできる信者たちの自慰行為との重ね合わせなのではないだろうか。もちろんこれは他のライターの作品群にも多かれ少なかれ当てはまることなのだが、元長作品の場合は特にその傾向が強いのではないか。
(3)"圧倒的な現実"と"人間"が作り出す楽園 litfさん(TwitterID:litf_tw)
「選択」そして認識するという行為そのものがオートマトンではなく人間である、という概念は元長柾木作品の根底に流れているものだ。なぜなら、自ら選択し認識できるということは、超越的なものの存在から自由である、ということに他ならない。
(挿絵)高林健さん
2.【第2特集】『セカンドノベル〜彼女の夏、15分の記憶〜』
(1)『セカンドノベル』とは何か。 雪駄さん(TwitterID:H926)
「ゲーム」とは何かと問われれば、現実だと答えよう。人が作った現実だと。「物語」では成し得ない現実の、世界の体感、それを為し得る虚構であると。度々行われる「物語」のゲーム化というのが、それを現実化し体感しようという手段の一つであることは明白だ。『セカンドノベル』とは、そんな「ゲーム」を通して、「物語」と対峙する作品である。
(2)セカンドノベル――物語を語ること、セクションEx2 C.Fさん(TwitterID:RyuArai)
『セカンドノベル』で多様な物語が語られた動機は、一つの物語(それは単に物語であるかもしれず、あるいはほとんど現実に近いかもしれない)では回収しきれない想いを別の物語で満たそうという語り手の意志である。
(3)非形式ゲーム、その解体と解答としてのセカンドノベル 中田吉法さん(TwitterID:ynakata)
プレイヤーがより純粋に《プレイヤー》の立場を体験するための形式の発展により、「形式的なゲーム性」はノベルゲームから大幅に奪われてきた。だが『セカンドノベル』は、各者の立場を組み替え、もっともゲーム的な強度の高い《システム》の役割をプレイヤーに負わせることで、ノベルゲームのままでありながら、形式的なゲーム性を大幅に回復させた。
(4)『セカンドノベル』雑感 〜直哉の到達、千秋の出立〜 そして伝達へ―― then-d(TwitterID:then_d)
当初から嘘を孕んだ物語の処理に躓いた高校生当時の彩野は、そのズレに気づき、このまま物語を続けることへの困難を感じ、一度挫折したことは、それもまた誠実さの一つの形であったかもしれない。しかし、全てを忘れ去ったところで「つくっちゃうか」という一言をきっかけに改めて語り始めたこととともに、直哉という捏造への加担者が存在したことにより、新たな途が切り開かれることになる点は、捏造の連鎖が産んだ、真に迫る「嘘から出た誠」とでも言うべきものであるだろう。
(図1 図2 図3)※ネタバレ注意
(挿絵)紋瀬夏海さん(TwitterID:aya0730) ※then-dは紋瀬さんの「Key+Liaアンソロジー」に「karma」で寄稿しています。
3.『恋ではなく―― It's not love, but so where near.』
a-parkさん(TwitterID:a_park)
彼らは決して「別れ」から目をそらすことはない。たとえ将来うまくいかなくなったとしても、紆余曲折を経て結ばれた経験こそが糧になる。それはすなわち、彼らが恋だけに生きていないと言うことにストレートにつながってくる。彼らは目前のパートナーを軽んじているわけでは決してない。真摯にパートナーに向き合っているからこそ、付き合って初めてわかる辛さについて語るのだ。
4.『Steins;Gate』
神のみぞ知る運命石の扉の選択 simulaさん(TwitterID:simula)
『Steins;Gate』という物語は厨二病のオカリンがその厨二病的世界観ゆえにその厨二病を挫折させられていくというものとなっています。
(挿絵)透音さん
5.『Flyable Heart』『君の名残は静かに揺れて』『Flyable Candy Heart』
"ふたつぶで、何度でも美味しく" singingrootさん(TwitterID:singingroot)
大切な人と手を繋いだ時、世界ぜんぶへ繋がったような心持ちがする。だけどそれは、たった一人の大好きな人と手を繋いでいるから起こったことで、その人は他の何を捨ててもその手を取りたいほど大切な人で、というのもほんとうで。拡散と収束が混じり合う。
(挿絵)singingrootさん
(挿絵)高林健さん
6.『WHITE ALBUM』
僕はいまだに『WHITE ALBUM』を追いかけている 儀狄さん(TwitterID:giteki)
『WHITE ALBUM』において、浮気は“コンセプト”であって“テーマ”ではない。もちろん、“ヒロインを選ぶと言うこと、逆に言うと、別のヒロインを選ばないということ”が大きなテーマなのは間違いないが、マニュアルに堂々と書いてある割に意識されない「様々な恋愛の形を描く」というのが『WHITE ALBUM』のもう一つのテーマだと思われる。
7.『リトルバスターズ!』
『リトルバスターズ!』の混乱と初期案に関する考察あるいは憶測―恭介と小毬の対話篇― 瀧川新惟さん(TwitterID:atakigawa_lw)
本稿では、『リトルバスターズ!』作中に見られるいくつかの不自然な混乱を、その初期案に関する『リトルバスターズ!』無印版ビジュアルファンブックにおける都乃河氏の証言に基づき、初期案からの変化、という観点で検討した。
II.作家論
1.木之本みけ
木之本みけ試論「空がこんなに綺麗だったこと〜架空のノスタルジア〜」 紅茶の人さん(TwitterID:atslave)
長大な物語も深刻なドラマもここには無い。あくまでひと夏の恋愛の風景を切り取った、それだけのお話として『夏めろ』は存在する。それはどこか青臭く生臭く、一見爽やかなシチュエーションであっても必ずしも綺麗ではない、そういう不格好さがある。しかし、だからこそより一層「あの時」の青春っぽくはないだろうか?
2.正田崇
まだ幼い14歳神―正田崇の成長記録― ツエ丸さん(TwitterID:Tue)
そもそも正田崇自身がADVという表現媒体で創作する上で未だ試行錯誤のただ中にある。それにより、氏の作品の魅力は充分に伝えられるように表現されてはいない。また、世間一般で求められている「燃えゲー」は氏の求めている理想とは異なっているという印象を受ける。「正田崇はシナリオライターとして未熟だ」とも、「能力を持て余している」とも言える状態である。正田崇は未完成。だから僕は、正田崇の持つ可能性を追求する。本稿の目的は、正田崇がこれまで何を成してきたか、そしてこれから何を成し得るかを述べることである。
III.恋愛ゲームとキャラクタ
- 明日のデレと逢うために〜見上げてごらん、夜空の星を〜 TDAC〜ツンデレ学会〜 凜♪さん(TwitterID:rin_tohsaka)
本学会は、他のキャラクターや作品を否定するのではなく、もっと積極的にそのキャラクター・作品を知る事により、そのの背景やゲームでの立ち位置、そしてそ本質を共有し合う事こそが、より一層の発展に繋がると考えています。コンセプトは「馬鹿な事を真面目に」。研究発表している内容は馬鹿なことかもしれませんが、それを敢えて「真面目に」「真剣に」こだわって発表・意見交換そして交流をしていこうという学会です。
IV.恋愛ゲームとアニメとの間〜虚淵玄と『魔法少女まどか☆マギカ』
(1)『魔法少女まどか☆マギカ』論
ループを選び取ってしまったその時点で、周回者は他の人物たちよりも一段上の複数世界を跨ぐ「神の視点」の持ち主とならざるを得ず、対等を前提とするならば、あるいはあらゆる非対等の特権を認めないならば、その視点を行使できることは「罪」となる。ここに、恋愛ゲーム文脈における「ループ」というガジェットは、「最終周」の決着の付け方に関して、「神の視点の罪」を問われる時を迎える。
(2)『なのは』から『まどか』へ〜「魔法少女」作品としての『まどか☆マギカ』〜雪駄さん(TwitterID:H926)
「王道や正統・常識をごく当たり前に解釈して描こうとした時に、その人が持っている勘違いや歪みのせいで、常人とは違う解釈をしてしまう異形の部分。それを個性と言う」のなら、『魔法少女まどか☆マギカ』はその異形・個性すら正統「魔法少女」に辿り着くまでの要素、過程として取り込んでしまった作品のように思う。
皆様よろしくお願いいたします。