MS2原稿「この存在(リトバス)に肯定を――」の概要・補足・言い訳
- 『リトルバスターズ!』はヤンキーのチーム。
- 理樹きゅんは、恭介リーダーの命を受けて、学校で関係不全を起こしてひとりぼっちになっているはぐれ者のヒロインたち(小毬をのぞく)をその可愛い顔でスカウトして回るひと。
- 小毬ははぐれ者たちをチームに引っ張り込む関係の起点を有する「姉(あね)さん」。
- ↑(上記2点から補足)だからリーダー恭介と姉(あね)さん小毬がくっつく「恭×こま」が同人カップリングで有力なのです。私も恭×こま万歳派*1。
- 実は『CLANNAD』も同じヤンキー文化を導入している。
- そのヤンキーっぷりはまず秋生さんの姿を見よ。
- 古河家は恭×こまと同じ形じゃないか。早苗さんもほんわか天然系なのに実はしっかり者。(ここは今気づいた。これ重要。)
- 恭介も秋生も大人になりきれない大人、子どもになりきれない子どもの暴走リーダー。
- 朋也が光球を集めるのも理樹が仲間を集めるのも同じこと。基本的に人の話を聞いて回る受け師。
- 朋也や春原の回りが、進学校とはとても思えない格差社会的状況なのも関係不全な人たちばかり集っているヤンキー集団だから。
- リトバスエクスタシーで追加されたシナリオは、関係不全な人たちのヤンキー集団に対して、ヤンキーのような、抜けるためには血が流れる鉄の掟があるものではなく、出入りができる風通しの良い場所ということを表現。
- そんなことで、実はヤンキーは学校や社会のルールは壊して回るくせに自分のところのローカルルールや地域・町は大好きで鉄の掟で守りたい。それを壊す奴には鉄拳制裁。だから町は家族です。
- 葉留佳・佳奈多の家族関係が異質に見えるのは、実は三枝家こそ鉄の絆で繋がれたヤンキー集団だから。彼女らはその家を風通しよくする話。だから実は本質と背中合わせで繋がっている良シナリオ。
- 葉留佳のアホっぷりは、風通しよくする時に観鈴ちんと同じ「アホの子で強くなる」方法を使っている。なので、あまり「私分かってるよ」ということを追加したEXはるちんシナリオはその点では当初の方向と比較してどうよ?と疑問を呈してみる。(そして渚も同じ「アホの子で強くなる」方法じゃないか)
- 『AIR』までの麻枝作品は、3/9に書いたように、いま、ここの幸せを否定して普遍的な幸せを探しに行ってしまい、目の前のヒロインの不幸上等。
- ヤンキーは目の前の仲間や家族や地域が良ければとりあえず刹那的だが幸福。実際、大多数の人はそれで生きている。これは従来までの麻枝的心証と対立。
- 東浩紀氏は「渚を粛々とセックスさせ出産させ〜」と言っているが、そのような話をセカイ系の隘路を抜け出す方法というなら、ヤンキー的な手法が隘路を抜け出す方法などと大仰に言うものなのだろうか(とは本文では書いてない)。
- 不幸と幸福の両方の道が併置されていた『CLANNAD』を経て*2、『リトバス』は、たとえ過ぎ去っていくものであっても、目先のヒロインや仲間との一瞬の幸福(海への旅行でみんな揃っている)を求めていいと変わってきた、と考えれば『リトバス』を肯定してもいいのでは?
リトバスファンの方にはかなり台無しな文章ですいません。