付記2

CLANNAD』から『光見守る坂道で』の汐の動向にあるような、恒常的な変化にこそ価値を見いだすという観点をもっと先鋭に打ち出したものが『智代アフター』であると私は考えており、この点で『CLANNAD』と『智代アフター』とは、全く正反対を向いているとも言い切れないという意識でおります。ただ、どうしても終わり方で真逆に見えるようなところもありますが。そして、「やり直し」の存在する『CLANNAD』に対する不全感から、この『智代アフター』が存在するといえるのではないかと思います。