まりのあや『わたしのありか。』

死にゲーネタ続き。
ガンで死亡で次に思い浮かべたのは『わたしのありか。』。結構好きなんですこれ。まりのあやがとても丁寧な仕事をしています。
超絶ネタバレなのでよろしく。

どっかで書いたっけ、女性の身体の観点から各ヒロインがきちんと描き分けられているとか。萌葱は傷ついた身体を強烈に意識化(初期の行為の時隠しているのは余計にそこを意識化させる)、ありすはウリやっているけれどそれは生むことのできない身体であるが故。稀更は消えゆかんばかりだし、別シナリオで稀更が死去してしまうと看護師はその重石を背負って生きようとするし、おばさん(酷)はうずく身体を持てあまし、娘は望外に大きな胸を持てあますとかですか。このあたりはちと中身が軽いが娘は入試・卒業まで熱血指導でしたっけ。

邦宏が死にそうになる方はまあ、ベタでいいとして、いつもサファーを思い浮かべると妄想するのが、サファーは実は邦宏の体内に巣くうガン細胞の権化なんではないかと思うことしきり。だって名前からして「suffer」ですぜ?
元気な魂(→身体とおきかえる)の方がうまいとか言って選り好みするのは、ガンの進行は若い方が速いというのと一緒じゃないか、とか、主人公にあんたの魂はまずそうだから〜と前向きに生きる気にさせようとするあたりは、寄生先が死ぬと一緒に死んで困るあたりのガン細胞が故とか。
まあ、最良の抗ガン剤が恋で、ちゃんとした相手ができるといなくなっちゃう(治癒する)あたりはおいしくなったところでいただきます、というのと矛盾するのだけれど。

他の女性を喰わずにサファーに操をたてて実体化すると邦宏のガンが進行してしまうのも、それだけサファーが力をつけてしまったが故とも読めそうだし。

最後はベタ。クリスマスの奇蹟。サファーが消えるとガンが治癒するあたりも自分が得た力を邦宏に返すのかと思ったり。
サファーシナリオでも萌葱がいいところ持って行くんですね。さすが自分がしゃれにならない状態を切り抜けてきただけのことはある。
このような形は「Wind」の彩とみなもとも似ているかなと。
出た順逆だけど。

結局なにが言いたいんだっけ。
なにもないみたいです。